TSUBUYA-Ki.
不真面目に真面目な大学生のつぶやきーず。更新停滞中。
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ふと感じた疑問。
三国志ものの小説を読む(たいがい途中で挫折)と、いつも思う。
なぜみんな、諸葛亮の考えをわかった風に書くのだろう。
劉備が漢室復興を志した理由はわからんでもない。
奴は漢王朝の皇家と偶然名字が同じだ(もちろん中山靖王の末裔は嘘っぱちだろう)。
諸葛亮は、中国の諺では文殊菩薩と同列に置かれる人である。
自分には諸葛亮の考えがわかっている、というのは、
自分は文殊菩薩であると言うのと同じことではないのか。
浅霧から見れば、諸葛亮と左慈は、一番何を考えているかわからない。
というか、何がしたいかわからない。
乱世を終わらせたい?
当時の状況を見極めれば、いずれ曹操が勝つことは明白だった。
わざわざ劉備に荷担して戦の種をまくことはないのに。
仁の世?
曹操が旨とした信賞必罰こそ、君主として持つべき仁ではないのか。
君主の理想のために民がバタバタ死んでいく国が仁の世なのか。
浅霧は思う。
一番えらいのは、三國を統一し晋王朝を建てた司馬一族だ。
だから。
野望。
大学に入ったら、中国の古典を勉強する。
正史三国志をちゃんと読む。
そして。
曹一族と司馬一族をとことん美化した小説を書いてやる!(←………。